政府が紙幣の肖像を変える準備に入ったことが明らかになり、話題を呼んでいます。

 

2004年から発行されているのは、野口英世の肖像のE号券なので、新千円札はF号券となる思われます^^

 

今回は、新千円札はいつから使えるのかやデザイン画像、モデルとなった北里柴三郎(きたざとしばさぶろう)さんについてお伝えします!

 

この記事を読んで分かること
  • 新千円札の発行は2024年を予定
  • 新千円札発行後も以前の千円札は使える
  • 新千円札のデザイン画像は富嶽三十六景
  • 新千円札のモデルの北里柴三郎さんは医学博士

 

新千円札については、以下で詳しくお伝えします^^

 

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新千円札はいつから?以前の千円札は使える?

 

新しい千円札ですが、どうしてこのタイミングだったのでしょうか・・・

 

本来、紙幣は偽造防止のため10~20年ごとに変更することになっているとのことで、前回から20年後となる2024年頃をめどに変更されるようです。

 

発行日など詳しいことは、現時点ではわかっていません。

 

また、新千円札が発行された後、今現在使っている千円札や過去の千円札は、これまで通り同じように使えます^^

 

新千円札の発行日については、正確な情報が入り次第、随時更新していきます!

 

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新千円札のデザイン画像を紹介!

 

新千円札のデザイン画像はこちらです^^

 

新千円札 北里柴三郎 いつから   引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/

 

こちらはいわゆる表面になります。

 

表記されている数字が大きいですね!

 

大きさは縦76mm、横150mmで現在の野口英世のものと変わりません!

 

先ほども紹介した通り、新千円札のモデルになったのは、北里柴三郎さんです。

 

新千円札 北里柴三郎 いつから  引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/

 

こちらは裏面になります。

 

一面に描かれているのは、葛飾北斎の富嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)です。

 

とてもきれいですよね^^

 

こちらの面も数字が大きいですね!

 

この新千円札には、新たな偽造申し技術として高精細すき入れ模様とパッチタイプの3Dホログラムが導入される予定とのことです。

 

また、視覚障碍者のための識別マークは右上隅・左下隅にあるとのことです。

 

識別マークって聞きなれないですが、現在のお札で言うと、それぞれのお札の左右の下にあります。

 

現在の千円札で言うと、横線ラインですが、五千円札になると黒い●のようなものになり、一万円ではL字の形で印字されています。

 

触っただけでそのお札の値段がいくらか分かるように作ってあるというのですごいですよね・・・

 

これが識別マークだなんて知りませんでした(笑)

 

また、新紙幣は偽造防止のための技術がたくさん盛り込まれていますね^^

 

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新千円札のモデル『北里柴三郎』ってどんな人?

 

それでは、新千円札のモデルとなった北里柴三郎さんをご紹介します^^

 

北里さんは、肩書きが沢山あります。

 

  • 日本の医学者
  • 細菌学者
  • 教育者
  • 実業家

ざっとこんなにも・・・

 

北里さんは『日本の細菌学の父』とも呼ばれるほどで、ペスト菌を発見したり、破傷風の治療法を開発するなど感染症医学の発展に貢献しました。

 

1853年1月29日生まれで、13歳にして医学の塾に入門します。

 

18歳で熊本の古城医学書病院に入学し、オランダの海軍の軍医に執事し、医学を教わります。

 

意外な感じがしますが、当時、問題はなかったんでしょうね・・・

 

22歳のとき、現在の東京医学校へ入学します。

 

現在の東京大学医学部です(笑) 素晴らしいですね・・・

 

30歳ときに、松尾臣善(第6代日銀総裁)の長女・乕と結婚します。

 

同じ年に東京大学医学部を卒業しますが、7年半で修了だったとのことです。

 

その後、内務省の衛生局に入り、ドイツ留学を命じられます。

 

ドイツでは、ノーベル賞受賞者のベーリングと世界で最初に破傷風菌の培養に成功しました。

 

翌年には、世界初の血清療法を発見し、ジフテリア毒素と破傷風毒素に対する抗血清を発見します。

 

このとき、留学を延長し、さらには皇室から金一千円を研究費用としていただいたそうです。

 

現在で言う、大学の学費分くらいでしょうか^^

 

帰国後に福沢諭吉らの援助により伝染病研究所を設立し、所長に就任します。

 

その後は、ノーベル生理学・医学賞の候補にあがりますが、惜しくも選ばれず・・・。

 

狂犬病・インフルエンザ・赤痢・発疹チフスなどの血清開発に取り組みながらも、慶應義塾大学医学部を創設し、初代医学部長・附属病院長になっています。

 

驚いたのは、死ぬまで無給で慶應医学部の発展に力を注いだそうです!

 

全ては、福沢諭吉に恩返しのつもりだったとのこと・・・素晴らしいですね。

 

日本医師会を創設し、初代会長に就任しますが、80歳の時、脳出血のため自宅で死去します。

 

これでもかなり省きましたが、観戦病や細菌学にかなり尽力したことは分りましたね^^

 

無給でもいいからと言われていたのには驚きましたが、これぐらい熱心な方が現代に必要ですよね・・・

 

2024年の新千円札発行が待ち遠しくなってきました(笑)

 

正確な発行日などは分り次第追記していきます!

 

最後までお読みいただきありがとうございました^^

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