新元号が『令和』と発表され、考案者ではないかと浮上したのが文化勲章受章者で国際日本文化研究センター名誉教授の中西進氏(89)です。
こういう情報ってどこから漏れるのでしょうか・・・(笑)
今回は、中西進さんの経歴や奥様のこと、また失くされた娘さんについてお伝えしています。
中西進のプロフィールや経歴は?
引用元:Wikipedia
- 本名:中西 進(なかにし すすむ)
- 生年月日:1929年8月21日
- 出身地:東京都
- 国際日本文化研究センター名誉教授
- 最終学歴:東京大学文学部国文学科
日本文学者、比較文学者、万葉学者でもある中西さんは、30代で博士論文『万葉集の比較文学的研究』で1963年第15回読売文学賞を受賞しました。
国内だけでなく、海外の大学の教授でもある中西さんですが、高志の国文学館初代館長にも就任されました。
多くの著書を出版されている中西さんですが、万葉学者というだけあり、大半は万葉集に関するものです。
- 1964年:第15回読売文学賞(『万葉集の比較文学的研究』)
- 1970年:日本学士院賞(『万葉史の研究』)
- 1990年:第3回和辻哲郎文化賞(『万葉と海彼』)
- 1997年:24回大佛次郎賞(『源氏物語と白楽天』)
- 2002年:京都新聞文化賞
- 2004年:奈良テレビ放送文化賞
- 2004年:文化功労者
- 2005年:瑞宝重光章受章
- 2010年:「万葉みらい塾」で菊池寛賞受賞
- 2013年:文化勲章
中西さんは、万葉集に精通していることがよくわかりますよね!
この度の新元号『令和』の典拠は『万葉集』ということもあり、考案者として中西さんの名前が挙がるのも納得ですが、ご本人さんは否定されているとか・・・
実際のところはどうなのか気になるところですね!
びっくりしたのは、89歳というご高齢にも関わらず、西に東にとあちこち飛び回られているそうです!!!
普通におじいちゃんですよね(笑)
そんな中西さんを動かす原動力は、『わからないこと』だそうです!
わからないことを、研究し追求していく・・・探求心旺盛な中西さんらしいですよね^^
中西進の嫁は誰?実は再再婚だった!
中西さんについて調べていくと、気になることが!
中西進さんの元の奥様は中西ひろ子さんという方ですが、2011年9月に持病の腎臓病の悪化が原因で65歳という若さで亡くなられたとのことでした。
こちらの死去ネットには、中西ひろ子さんについても書かれています。
お2人はおしどり夫婦で知られており、中西進さんは「突然の訃報に、頭が真っ白になった。」と当時を振り返られました。
ただ、中西ひろ子さんは、どうやらお2人目の奥様だということが知人の方のブログより判明しました!
中西さんは、お子さんが4人いながらも1人目の奥様と離婚され、その後にひろ子さんと再婚されたようです。
知人の方によると、ひろ子さんはとてもチャーミングな方だったようです!
そして、ひろ子さんが亡くなられた後に、30歳くらい年下の奥様と再婚されています!!!
なんと再再婚されていたんですね!!!
これだけ歳を重ねている上に、お若い奥様との再再婚・・・女性に関しても勲章レベルですね(笑)
現在の奥様については、調べてみてもお名前や年齢などが分かるものはありませんでしたが、仲人をしてもらったという知人の方によると、着物が似合う品の良い女性とのことです。
中西進の子供は何人?娘が亡くなった理由が悲しすぎる!
中西さんは、初婚の時点でお子さんが4人いたということが分かりましたが、再婚後のお子さんについては調べてみましたが情報がありませんでした。
ただ、4人のお子さんのうちの一人の娘さんは、水難事故に遭って亡くなられたとのことでした。
病気ではなく、水難事故という突然の別れを強いられ、中西さんは悲しみのどん底に落とされたことだと思います。
子供が親よりも先に逝くのは、親としては耐え難いですよね・・・。
水難事故についても、調べてみましたがニュースとしては情報がありませんでした。
奥様も亡くされ、娘さんも亡くされるという悲し過ぎる過去を乗り越え、現在は幸せな日々を送られていることと思います。
どうやら、4人のお子さんのうちの長女さんと思われる方は、アイルランドの大学に留学しておられ、医学部に入り医師を目指していたそうです。
その後についての情報がありませんでしたが、きっと医師になられて活躍されているのではないでしょうか。
まとめ
今回は、新元号『令和』の考案者として名前が挙がっている『中西進』さんについてお伝えしました。
数々の受賞歴・教授歴の中西さんは『万葉集』に精通した万葉学者ということも分かりました!
私生活においても、再再婚をされている勲章レベルの方でしたね(笑)